
はじめまして、皆様。
これから、自由診療部をご案内するにあたりここがどのように生まれたか、その生い立ちについてお話したいと思います。少しの間、お付き合いいただけますか?
自由診療部(旧 総合診療部)と名前がついたのは平成16年のこと。はじめは通常の外来診療が終了してから相談を受けたり、指導をしたりしていた患者さんの数が増えて、週1回半日の予約外来になりました。週2回に増やし、それでもお受けできない患者さんがたくさんになり、同じ考え方の意思の就任を機に提供できる診療について、しっかり責任をもる決意のあらわれとして旧 総合診療部を開きました。ここでは、西洋現代医学の枠にとらわれず、ホメオパシー、アーユルヴェーダ、アントロポゾフィー医学、バイオレゾナンス、鍼など多くの手法が取り入れられています。それらの治療法は、多くの患者さんたちを治療させていただいている間に私の中で、どうしても必要が生じて勉強してきたものなのです。百人の患者さんがいらっしゃれば、百の治療法が存在すると私は思っています。それはかつて、私自身が長年体調不良を抱えて生活してきた患者のひとりであったから、なおさらそう思うのです。大学病院の医師になって、5~6年たった頃、重い倦怠感と食欲不振が始まり、微熱が続くようになりました。立て続けに、診察した患者さんの麻疹(はしか)がうつり、水痘(みずぼうそう)がうつり、重症化して、それぞれ入院しました。通院してからも体調は悪く、病院の廊下もゆっくりとしかあるけなくなりました。けれど検査では、炎症の値が高いだけで原因がはっきりしません。どんどんやせて、患者さんからお大事にと言われるようになって、それではということで、原因かもしれないという疑いで扁桃腺を切除し、その後も子宮筋腫をとり、さらに子宮と卵巣を切除に、手術の1年後には、腸閉塞になり合計で4回の全身麻酔の手術(そのうち3回は、開腹手術)を大学病院で進んだ現代医学を受けながら、私は癒されませんでした。私が何故病気になったのか、私には納得できなかったからです。

そんなとき、やはり長年の過労から体調を崩し、医師の仕事が出来なくなっていた父から、1冊の本を手渡されました。当時、日本で訳されたばかりのアンドリュー・ワイル博士の『人はなぜ治るのか』でした。その本の中には、人間そのものを診る医療、身体だけでなく、その人の生活や心や精神も含めた医療の形が語られていました。それこそ、ホリスティック医療、私の求めていた医療の形そのものだったのです。私の中で扉が開かれた瞬間でした。どうしたらいいのか想いをめぐらせていたときに、中学生の頃から傾倒していたインド哲学の中にアーユルヴェーダを医師として臨床に生かすことを目的に学び始めました。そこには、「何故私が病気になったのか」の答えもあったのです。丁度、この時期に父が急逝し、私は大学病院をやめ、父の病院を継承しました。父の夢である「患者さんに優しい、患者さんの視点で運営されている病院」を目指すこと、それは即ち、私が求めるホリスティック医療の実践の場であると熱い想いで私の第2の人生が始まりました。


はじめは少しずつ外来のなかで、必要な人にアーユルヴェーダの脈診をして生活指導をすることからはじめました。それが自由診療部のそもそもの始まりだったのです、このように、アーユルヴェーダから始まったホリスティック医療の試みは、患者さんが増えるに従って、ホメオパシーを用いるように拡大し、患者さんの状態に合わせてバイオレゾナンス療法、ワイルドフラワーエッセンス療法とどんどんと広がっていきました。また、7年前からアントロポゾフィー医学を勉強しはじめたことで、人間そのもの、そしてその環境をもあわせた全体について更に深く考えるようになり、自由診療部の中で統合が進んできつつあります。
自由診療部での主役は、患者さんご自身です。私達は、患者さんがご自分で歩かれる治癒への道を医療の専門家としての道具をたづさえて同行させていただく仲間です。
それは、私達にとって、とても幸せなことなのです。
皆様にお会いできるのを心よりお待ちしています。
自由診療部 山本百合子